エントランス

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“遊”のイメージを聞かせてください。
あそぶ・楽しむ・自由など、人それぞれ独自のイメージがたくさんあると思います。

では、“play”は?

I play Baseball.
I play Soccer.
遊ぶというイメージからスポーツ(競技)を行うことも“play”と表現する。

I play Piano.
I play Guitar.
っといった楽器の演奏も“play”。

そのほか、ゲーム(トランプ・チェスなど)も“play”と表現します。
“play”という言葉は、わたしたちが思っている以上に広い空間で存在している。

近年の日本語とはやや違うとらえ方をしているように感じます。

っが!実は“遊”の古文における意味が非常に興味深い。
和歌を詠んだり、狩りをしたり、管弦を奏でたり、舞を舞ったり、どこか“play”と密接な関係にあるように思えます。
現代よりも、空間的意識が強かったのではないでしょうか。

こうした視点で「遊」を見直してみると、日本の伝統的な遊びにも身体空間が見えてきます。
その一つが百人一首です。

単に「札をいかに早く取るか」という遊びとして捉えられることが多い。
しかし、身体空間という視点から見ると、百人一首は「空間を制圧する遊び」とも考えられる。

札だけを見ているのではなく、常に次のような空間を認識している。

そして、その空間認識の上に

さらには相手との駆け引きが加わる。
つまり、百人一首とは単に札を奪い合う遊びではなく、互いが空間を読み合い空間を支配しようとする競技といえる。


このような視点で百人一首を捉えると、その本質はスポーツに極めて近い。
競う対象は札でありながら、本当に競っているのは「身体が支配する空間」なのかもしれない。